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関東日系ブラジル人視察報告(2008年5月)

 大嶋武郎・緑先生へ
大変お世話になりました。とっても勉強になった旅でした。
初めて、勝田にお伺いして、先生方のご活躍場を見せて頂いて、
嬉しかったです。これで、具体的なお祈りが出来ます。

 あれから、こどもの日(5)大泉の山崎先生をお尋ねして、随分
お元気になられて感謝でした。奥様もとてもお元気で大変感謝でした。
大泉では、有名な日本語教育とブラジル人学校の貢献者とお話でき
上智大学が出版しています「ソフィア」誌をもらい、北関東の在日日系
ブラジル人の様子を垣間見ました。三洋が撤退して少し寂しくなったが
スバルがトヨタと提携して元気があるので、近くの太田のほうに少し人
が、移っているとも、バスの運転手さんが言っていました。

 中部地方との子弟教育に関することでの大きな差は、北関東は、
ブラジルポルトガル語教育機関に子供を入れているご家庭が半分以上、
こちらでは、60%以上が日本の学校に入っていると言う、大発見を
しました。

 これは、日系人の集中的に住んでいる度合いの高さに因るのかとも
思われましたが、ブラジルに帰らない日系人が多くなってきているので
やがて、問題が出てくるようにも感じました。

 ブラジル人スーパーも増えているようで、大泉には3つの大きなスーパーが

ありました。久々にシュラスコのサンドイッチを野菜も沢山入れてもらって
アグアトニカを飲み、ブラジルを偲びました。

 そこに居た二世の50代の三人の男性は、もう134年日本にいて「もう、
ブラジルに帰っても仕事がないし、でも、仕事が出来なくなったら、ブラジ
ルに帰る」と、少し寂しそうでした。勿論、2年に一度は、永住権のことで
ブラジルには帰っているのですが・・・

 TVクウツーラ(ブラジル教育TV) のレポータアーも10年取材で来ていて
いろいろそこに居た人たちと話しながら、取材してました。
いつ日本に来たのか、何年くらい日本にいるのか、子供は何語で教育す
るのか、ブラジルにはいつ帰るのか、帰らないのか、etc.

 いま、関東から中部・関西方面に日系人が産業の関係で少しづつ移り始
めているデーターも「ソフィア」誌で見ました。
日系人の移動傾向を見ていると日本の生産企業の元気の良さの移動も
見ることが出来そうです。

 豊橋のホサナの電話が分かったら、お教えください。
お交わりを感謝いたしまして。
祝福を祈ります。

中田智之





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   突然、窮乏するブラジル人(2008年11月)
 ブラジル人<宣教支援>のはずが、<支援>だけになっているではないか・・・と,疑問をもたれましょうか。現状は、それ程、日系ブラジル人を取り囲んでいる状況は、緊迫し緊急性を帯びています。
  日本人教会と日本にある日系ブラジル人教会との<橋渡し>で日本に来ている筈が、急激な米国発世界不況の波に流されて、その中に中田もいます。

  例えば(1)、愛知県岡崎市の山の中腹の旧ホテルを避難所にした困窮日系ブラジル人(日本人もペルー人もいる)の<家族>の方々だけ受け入れている施設。36人が今いますが、その数は増しています。目下、NPOとして活動中です。
 例えば(2)、第一号の日系ブラジル人を中心とした農業コロニー、予定地は、愛知県渥美半島の田原市。トヨタの組立大工場が立つ中、周囲は有数の農産物出荷地。しかも、中国人農業研修生が600人ほど、研修しています。従って外国人には慣れている農業地帯というわけです。
 住めて食べて、少しの収入でも頂ければ、今は、それ以上のことは求められません。これも同じく、NPOとして活動しようとしています。

 岡崎の方は、始まりは突然の呼び出しで、どんなところかも知らないで、早朝、
50キロ、車で掃除に行きました。山の中腹の見晴らしの凄く好い、3年間休止していたホテルが突然動き出すと言うこで、
「誰が警察(行政)に挨拶に行くか」。

「中田牧師に行ってもらおう」、
 兎に角、5,60人中一世は3人、まともに警察に
行って話を付けられそうなのは、牧師。ブラジルでは牧師は、身近で尊敬されているのです、例え中田のようなヤ~さんっぽい奴でもです。もう大部年もとってる様だし・・・で、です。

  その時から、日本語で行政と話が出来て、ポルトガル語は何とかできて、「牧師」と言う名刺を持っていて、日本の事情にもブラジルの事情にも通じていると言う事で困窮しているブラジル人の協力者となってきました。
 まだ、問題解決の途に付いたばかりのような試行錯誤が続いています。行政に仕事をしてもらう大変さを味わいつつ、まだ愛知県の範囲です。

  中田の健康
 2月の9日()の他の教会の礼拝と懇談会の奉仕に参りました。
午後3時頃、帰宅して、疲れていたので、休みました。トイレに行こうとして夕方5時ころ起き、上がろうとして両手を床に着けたまま、頭から床にゴツンと衝突、両手が体を支えられないのです。力がまったく入らないのです。夜9時、目が覚
めました。起き上がろうとして手をついてみたら、手応えが在りまして、立てました。

  群馬の加納外科に2月26日から検査入院をさせていただきます。もう40年近い中田宣教師の検査記録が保存されています。

  一方、話し変って献身した井上ミュートン兄弟は、日本語の問題があって、残念ながら入学許可はいただけませんでした。しかし、目下、教会の姉妹の奉仕で日本語の特訓が始まり、また、ポルトガル語の通信教育で聖書神学の学びを始めてもいます。来年には(あるいは、この9月には)、日本人神学生の中で交わりに入れるかも知れません。ブラジル人の伝道をするにも日本で伝道するには、どうしても日本語による学びと交わりが必要なのです。

 井上兄とその一家は素晴らしい一家です。ですが、もう何年も神様の召しを感じながら、立ち上がれませんでした。しかし、今回の失業を経験して、献身へとハッキリと導かれたのでした。
 皆様のお祈りを心から感謝いたします。

 
     ブラジル1カ月の視察(2009年5月11日ー6月11日)
 やっとこの暖かさで、健康が回復してまいりました、皆様は如何でございましょうか。お祈り、ご支援を心から感謝いたします。

  <ブラジルへ視察・1ヶ月>
  5月11日から6月11日まで、ブラジルでも農業の面で受け入れる場所が出来ないか、交渉に参ります。ブラジルでも農業部門しかこの失業者を受け入れてくれる部門はありません。ブラジルの場合には、厳しい農地法はありませんし、生活コストが半分以下で済みます。
 周囲が皆ブラジル人ですので、
立ち退きを迫られる心配もありません。その方があるいは、もっと多くの日系人を救済、自立へと向かわせることになるかも知れません。
 でも60%近い日系人は、日本に残る積りですので、日本でも何とかしないとならないのです。

  <在日ブラジル人の近況・関東地方>
  関東からの報告では、中部地方に比較してもっと生活状況は酷いように聞こえてきました。或るブラジル人教会は、大半のブラジル人が失業し、教会の経済状況が著しく悪化し、牧師給が払えなくなり、解散しようかと真剣に話し合われています。
  別の湘南地域のブラジル人集会は、中心的メンバーのブラジル食堂が、ブラジル人の収入の激減で、店が成り立たたず、閉店に追い込まれました。
  業種的には底を打ち始めたと見られる職種もありますが、日本語が出来ない外国人には、まだまだ、長い冬です。

  <農業コロニー、未だ模索中・愛知>
 豊明市のブラジル農家は、理想的なのですが、県の支援がないと5~6家族の継続的訓練は殆ど不可能です。生活を助ける生産物が取れるまでには、時間が掛かります。
  農業訓練センターとして県が支援してくれるには、土地が
狭すぎるとか、農業の専門スタッフが居ないとかの条件をクリアーしないとなりません。日本は、簡単にはこのブラジル人に合う水準など、認めてくれないのです。

 お祈りを感謝いたします。
 皆様の上に祝福を祈りまして



 ブラジルでの生活に戻って(10年3月)

 
 日本での緊張
 やはり、一つの教会の責任を頂いて、しかも、もう一つの本来の使命である日系ブラジルジル人の宣教の実態を調べることは、相当の体力が要りましたし、また、大きな緊張を感じて毎週過ごしました。

 始まりは、1.この与えられた教会がどう再建されるのか、どのようにして、子供たちの働きが主役になれるのかの模索と祈りでした。その2.世界的大不況が日本をも直撃し、日系ブラジル人の生活を破壊していきました。どう対処するか。全く未知の経験出した。

 この二つのことのみでも、もの凄い勉強になりましたが、過度の行動力、創造力が必要で、遂に、栄養失調でダウンしてしまいました。

 
 日本から帰ってきた日系人の様子。
 これが、コロニアの七不思議の一つなのです。これだけの人が日本から帰って来たのに、その人たちがどこに消えたのか、この不況の中でブラジルでも日本から帰ってきた人たちを受け入れるのに何か対策を用意しなければ、と思っていた各種の援助機関や対策団体が開店休業なのです。

 日本のキリスト教関係の移民促進団体・力行会のブラジル側代表の、永田久氏は「困っていれば我々も少しでも助けたい」でも、「困っていると言う人が現れないんですよ、不思議ですよ。日本ではあんなに困っているのに…」。

 これがブラジルの現状です。移民100年たってコロニアの経済も相当にふところが深くなった言うところでしょうか…

  再びブラジルに戻って
 まだ、サンパウロの周辺のみですが、日本語の説教や分級の奉仕に出かけています。
 今、祈っています大きな課題は、日本語のトラクトを作ること。今のところ子供用のトラクトを作ってみようかとも考えています。お年寄りが小さいお孫さん曾孫さんと一緒に読んであげられるような。そして、少しづつコロニアでイエスキリストさまを信じ救われた証しトラクトを集めようかと考えています。

  皆さまのお祈りとご支援を心から感謝いたしまして、
 祝福をお祈りさせて頂きます。

    http://tomoyukinakada.weebly.com/  
 是非、ご覧になって下さい。 





 日本移民100年の評価

 日本移民の特徴

1.日本移民は共同体精神と言うものが豊か

2.
日本移民が持ってきた文化スポーツがブラジル社会にも浸透している

 )武道(剣道、柔道)、野球、相撲(非日系人にも参加者)カラオケ(ポルトガル語になるほど)

3.教育による社会進出(大学教授、エイジニア、医者、歯科医、弁護士etc)

4.農業事業への貢献(未開発の中・北伯農業開発、ex.スイカ、以前は12月のみ、今は一年中etc)

5.出稼ぎ、大量に日本へ、不況下、北伯で造船溶接工200人募集。

6.日本料理のブラジル社会への普及(食卓の野菜の普及か豊さ、和食、ex.

 シュラスカリア(焼き肉レストラン)数より、すし店の方が多い。)

 

総括的ブラジル社会からの日本人への評価

1.日系人は勤勉

2.忍耐ぶかい。決めたことを何とかしようと努力する。

3.信用できる。(ガランチード ナン、日本人の口癖「信用していいの」)

 

森口イナシオ師自身の気持ち

『日系人として生まれて来てよかった』

 

森口師の個人的日本移民への評価

日本移民は大変な大苦労があったけれど、この100年を見ると「報われた」

『わたくしたちの世代は彼らの勤勉と努力を辱めない』ようにしたい。





外国人登録者、48年ぶりに減少=世界同時不況を反映

762034分配信 時事通信

 法務省は6日、2009年末の外国人登録者数が前年比14%減の2186121人だったと発表した。減少は1961年以来48年ぶり。同省入国管理局は「世界同時不況の影響で南米からの就労目的の入国者数が減少したのが大きい」としている。 日本の総人口に占める登録者数の割合は171%。在留資格別では、日本人の配偶者や長期滞在者など「一般永住者」が同84%増の533472人で最多。一方、南米の日系人らに多い「定住者」は同142%減の221771人、「研修」は同249%減の65209人だった。 都道府県別に見ると、愛知県が前年比13616人(60%)減、静岡県が同9780人(95%)減、三重県が同3986人(75%)減などと、日系人が働く自動車工場がある県の減少が目立つ。


派遣、白い目で…ブラジル人社会に戻る平穏、広がる不安 宝塚女子中学生放火
兵庫県宝塚市で3人が死傷した放火事件は23日、発生から2週間が過ぎた。逮捕された市立中3年の少女(15)と同級生の少女(14)の友人らは夏休みを迎え、事件前の日常を取り戻しつつあるようにみえる。だが、ブラジル国籍である少女が事件を起こしたことで、地域のブラジル人社会には不安と困惑が広がっているという。現場周辺を改めて歩いた。 [フォト]少女らを移送する警察車両

 ■2週間、干しっぱなし洗濯物 「本当に事件はあったのかなあ。今はそんな気もする」。21日から夏休みに入った中学校のグラウンドでは連日、野球部員がランニングを繰り返している。通学路には、自転車でプールへ向かう女の子。2人と親しい少年(14)は今、事件を振り返るとそんな気持ちになるという。 少年は事件前日の今月8日、2人から「親がうざいから殺す」「明日やる。家を燃やす実験もした」と聞かされた。「本当にやるつもりだろうか」。半信半疑で少女宅の様子を見に行った。しばらく待っても何事もなかったため引き上げたが、火が放たれたのは、そのわずか30分後だった。 無人となった少女宅では、花壇の花がついに枯れてしまった。干しっぱなしの洗濯物は、雨や日差しを受けて色あせてきている。警備を続ける宝塚署員の首筋を、汗が伝う。 2人はあの日、放火した後、包丁を手に同級生宅に向かったという。1階が店舗になっている同級生宅は今もシャッターが閉まり、「都合により、しばらくの間休業させて頂きます」との張り紙。家の中はひっそりと静まり返ったままだ。同級生は母親(36)との面会の際、涙を流したという。 当事者以外にも、事件が落とす暗い影に悩まされている人たちがいる。 2人が住む地域には、住人のほとんどがブラジル人というマンションがある。少女は同級生宅に向かう途中、ここに立ち寄り、友人にペットの子犬を預けている。 住人の多くは、近くの食品工場に勤める派遣社員だ。朝11時から日付が変わるまでの勤務を、週に6日。地域社会にとけこもうにも、その余裕がない。「ごみの出し方が悪い」などと、日本人とのトラブルも絶えないという。 それでもポルトガル語のごみ出しカレンダーを作るなど、日本語を話せる住人や管理人が中心となって問題の解決を図ってきた。その矢先に、事件が起きた。 住人には子供を持つ夫婦も少なくない。少女がブラジル国籍であることを理由にいじめを受けたように、もともと子供たちの学校生活に不安を抱えてきた。在日ブラジル人の支援に取り組んでいる「関西ブラジル人コミュニティ」(神戸市)代表の松原マリナさんは「事件後、『ブラジル人は何をするか分からない』という目で見られ、日本での生活に不安を感じる親が増えている」と話す。 逮捕から1週間が過ぎて初めて、「ごめんなさい」と家族への謝罪の言葉を口にしたという少女。最近の取り調べには、事件で影響を受けた周囲をおもんばかる様子もみせているという。(野々山暢)

 




平成19・20年度

「高等学校における多文化共生教育のあり方について」

研究委嘱校

愛知県立豊橋西高等学校                              

                   目   次

巻頭言 「理解、尊敬そして幸福」                             

1 平成19年度愛知県教育委員会の委嘱による研究

(1)研究計画

(2)最終報告

2 本校の多文化共生教育の流れ

(1)本校外国人生徒選抜の受検者数と合格者数および国籍

(2)概略

3 平成17年度AKK(愛知県国際教育研究会)研究大会での研究発表

   「高校における外国人教育の実践と課題」 

国語の取り出し授業から考える

4 本校における外国人生徒の3年間の教育プログラム

5 豊橋市の外国人生徒進学説明会

6 外国人生徒選抜説明会と合格者説明会

7 教育センターでの外国人児童・生徒指導者研修会

8 平成20年度ちきり祭の国際交流会

(1)全体会:外国人生徒のスピーチの原稿

(2)分科会:中国クイズの原稿

9 日本語スピーチコンテストの原稿

(1)平成19年度

(2)平成20年度

10 外国人生徒の保護者への連絡

11 購入図書一覧

12 外国人卒業生の進路

編集後記

 

巻頭言          「理解、尊敬そして幸福」

 平成19年度より2年間、愛知県教育委員会の研究委嘱校の委嘱を受け、「高等学校における多文化共生教育のあり方について」の研究をすすめることができました。今年度は、研究の最終年度であり、その成果と今後の課題をまとめました。研究にあたり、愛知県教育委員会をはじめとして、関係の皆様方の御理解と御配慮に感謝申しあげるとともに、本研究に諸方面から御指導いただいたことに重ねて感謝申しあげます。 

本校は、全国一のブラジル人居住都市である豊橋市内に設置されています。また、平成14年度から外国人生徒にかかる入学者選抜が実施されることとなり、毎年さまざまなタイプの外国人が入学してくることとなりました。こうした本校の現状から、多文化共生教育の在り方を考え、3年間を見通した教育プログラムの構築が喫緊の課題となっていました。

 これまでの本校における多文化共生教育は、ともすれば文化の異なる少数生徒(民族)、外国人のための教育と捉えがちであったように思います。しかし、同じブラジル人などの中にも文化の差があり、その差がその集団内のマイノリティーの不利益になっている場合、その克服のために、そのマイノリティーの文化を教育に反映させ、学習する生徒が互いの文化を理解し、尊重しうるように教育しようというのも多文化教育であると考えます。さらに、これまでの国際理解教育において、よく「異文化理解」という言葉が使われてきましたが、この場合、他の国、他の民族、他の文化という、自分と一定の距離を置いた立場での他者の理解という感が否めませんでした。それに対し、アメリカの「多文化教育」のように、一つの国、一つの地域の中で、多くの民族、多くの文化が存在する中での、自分の生き方の問題として異なる文化を学習するという姿勢が求められているともいえます。つまり、多文化教育においては、それぞれの文化集団の間で差別と排除のない、またマジョリティの文化への同化を強制されることのない、そして互いに自らの文化に誇りをもちつつ、共に協力する人間を育てる教育という理念がなくてはならないと考えます。

 こうした理念のもとに、本校のこれまでの取り組みの検証を踏まえて、全校体制で組織的に多方面との連携を通じて本研究を進めることができました。この研究を通して、外国人生徒を含めた本校の生徒が、互いに文化の違いを理解し認め、尊敬し大切にし、うまく融和し協力し、幸福な生活をしていこうとする意識を高めることができました。また、多文化共生教育の充実を図るための一歩を踏み出すことができたことは非常に大きな収穫でした。

  これまでもそうであったように、次年度以降も工夫してさらなる研究を継続していくことが必要であると考えます。関係各方面の一層の御支援・御協力をお願いいたします。

平成21年3月

愛知県立豊橋西高等学校長 伊 藤 尋 思

1 平成19年度愛知県教育委員会の委嘱による多文化共生教育の研究

(1)研究計画書

学 校 名

愛知県立豊橋西高等学校

所 在 地

愛知県豊橋市牟呂町西明治新右前4

電   話

  0532-31-8800

学 級 数

19

生 徒 数

     740

校   長

  伊 藤 尋 思

教  頭

   立 花   昭

教務主任

  冨 田 健 治

研究主任

   倉 内 弓 子

地域及び学校の特徴

  豊橋市は全国一のブラジル人居住都市であり、ブラジル以外の外国人子女も多い。その中には、高校での勉学を志しながらも、日本語能力の不足のため本来の能力を発揮できない生徒もいる。本校は外国人生徒にかかる入学者選抜の実施校として、外国人生徒に勉学の機会を与えている。

過去の研究歴

  なし

発表予定

  中間報告書(平成19年12月)、研究報告書(平成20年12月 )を作成する。

Ⅰ 研究主題   

高等学校における多文化共生教育の在り方について

Ⅱ 研究計画の概要

 1 主題設定の趣旨

      外国人の定住化・永住化が進む中、日本で育つ外国人の子どもたちは、将来の地域社会の担い手となる存在であり、彼らの日本語能力に応じて学習機会を整備することは、多文化共生社会の実現のための喫緊の課題の一つである。本県では、平成14年度から県立高等学校3校において、外国人生徒にかかる入学者選抜を実施しており、本校はそのうちの一校である。本校では、これまでは1年生において外国人生徒に対する取り出し授業を実施するとともに、外国人生徒指導者会議を設置し、外国人生徒に関する共通理解を図り多文化共生教育に取り組んできた。しかしながら、一人一人の生徒の日本語能力や家庭環境等が異なり、一様な対応をすることが難しいのが実情である。

      そこで、これまでの取組の検証を踏まえ、全校体制の組織作りや多方面との連携を通じて、個々の外国人生徒への対応を充実させるとともに、この研究成果が他校での同様の事例のモデルとなることを目標にして、高等学校における多文化共生教育の在り方について研究を進めることとした。

 2 研究の方法

  (1) 校内組織を確立する。

    本校では取り出し授業を1年生で実施しているので、従来は1年生の外国人生徒指導者が会議を開催してきた。本研究では、それを学校全体での取組とするため「多文化共生教育委員会」を設置し、「外国人生徒指導者会議」、2・3年生の外国人生徒と留学生に主眼を置く「国際理解教育連絡会」、「学年会」の3つを下部組織として置く。

  (2) 多文化共生教育委員会で研究計画の検討を行い、共通理解を図る。 

  (3) 年4回外国人生徒指導者会議を開き、情報交換、指導の在り方を考える。     

  (4) 支援員指導記録、外国人生徒指導者会議をとおして外国人生徒支援員と連携を図る。

  (5) 国際理解教育連絡会は、学期ごとに留学生の生活状況をまとめ、報告する。

  (6) 学校祭において、日本人生徒、外国人生徒、留学生の友好関係を深める活動を行う。

  (7) 学年会は、平素の外国人生徒や留学生と日本人生徒の交流状況について情報交換を行う。

  (8) 成績会議において、外国人生徒、留学生の状況報告を行い、情報の共有を図る。

  (9) 地域の実情を探り、地域や中学校との連携を図るため、市役所、中学校訪問を行い、必要資料の収集を行う。

   (10) 多文化共生教育委員会にて多文化共生の将来を探る。

(2)最終報告

Ⅰ 研究経過の概要

平成19年5月  愛知県教育委員会から平成19・20年度県立学校研究委嘱校(教育課程)の委嘱を受ける。校内に多文化共生教育委員会を設置する。

6月    愛知県教育委員会に研究計画書を提出する。

6月~11月   外国人生徒指導者会議、多文化共生教育委員会を中心に研究協議を行い、研究計画に基づいた実践的研究を実施する。

12月   愛知県教育委員会に「県立学校研究委嘱校研究集録(中間報告)」の原稿を提出する。

平成20年4月   多文化共生教育委員会を経営案に明記する。

平成19年度の研究計画を確認し、実践・研究を開始する。

9月   愛知県教育委員会高等学校教育課から、最終報告作成への指導・助言を受ける。

12月   愛知県教育委員会に「県立学校研究委嘱校研究集録」の原稿を提出する。

Ⅱ 研究成果の要旨

 1 主題設定の趣旨

   外国人の定住化・永住化が進む中、日本で育つ外国人の子どもたちは、将来の地域社会の担い手となる存在であり、彼らの日本語能力に応じて学習機会を整備することは、多文化共生社会の実現のための喫緊の課題の一つである。

    本県では、平成14年度から県立高等学校3校において、「外国人生徒にかかる入学者選抜」を実施しており、本校もそのうちの1校にあたる。本校では、これまで第1学年において外国人生徒に対する「取り出し授業」を実施するとともに、「外国人生徒指導者会議」を設置し、外国人生徒に関する共通理解を図り多文化共生教育に取り組んできた。しかしながら、各生徒によって日本語能力や家庭環境等が異なり、画一的な対応をする事が難しいのが現状である。

    そこで、これまでの取組の検証を踏まえて、全校体制の組織作りや多方面との連携を通じて、個々の外国人生徒への対応を充実させるとともに、この研究成果が他校での同様の事例のモデルとなることを目標にして、高等学校における多文化共生教育のあり方について研究を進めることとした。

 2 研究成果の概要 

(1) 校内組織

ア 組織図

運営委員会

②外国人生徒指導者会議

 

 

 

校長

教頭

 

①多文化共生教育委員会

 

③国際理解教育連絡会

 

 

 

 

 

職員会議

 

    学年会

  

①多文化共生教育委員会          

校長、教頭、教務主任-主幹、教務部外国人教育係-主務、

教務部国際理解教育係(主に留学生係)、各学年主任

  

②外国人生徒指導者会議

校長、教頭、教務主任-主幹、教務部外国人教育係-主務、第1学年主任

外国人生徒クラス担任、取り出し授業各教科担任、外国人生徒語学支援員

    ③国際理解教育連絡会

校長、教頭、教務主任-主幹、教務部国際理解教育係-主務、教務部渉外係、英語部顧問

    イ 多文化共生教育委員会

    会は年2回開催し、5月に指導方針、年間指導計画、組織の確認をして、3月に1年の反省と、外国人生徒選抜で新たに入学する生徒と進級在籍する生徒の指導の課題と対応を審議することとした。

本校における「取り出し授業」は1年生に対してのみ実施していたので、2年生以上の外国人生徒については、学校全体として検討する場がなかった。したがって彼らに対する基本的な方針が定まっておらず、学習成績の評価などに関しても、担当学年ごとに異なる対応をしていた。しかし、本研究委嘱を受けてこの委員会を設置したことにより、3年間の教育プログラム(下表参照)が作成され、各学年主任を通して、年度当初から学校全体の外国人生徒に対する基本方針の確認ができるようになった。

ウ 外国人生徒指導者会議

  平成14年度に外国人生徒にかかる入学者選抜が始まった際に設置した会議である。この会議を各定期考査後に開催し、外国人生徒の取り出し授業担当者間で共通理解を図るようにしている。この結果、取り出し授業の担当教員は、自分の教科以外の外国人生徒の学習状況について認識することができ、指導のヒントを得ることができる。

(2) 連携体制について

ア 外国人児童生徒の進路相談会

    平成20年度に初めて、夏休みに豊橋市主催の「外国人児童生徒の進路相談会」において、本校の外国人生徒選抜等について説明した。その結果、「外国人生徒選抜説明会」には、例年をはるかに上回る外国人生徒の参加申し込みがあった。

    イ 外国人生徒選抜説明会

     平成13年度以降毎年開催している説明会である。本校に在籍中の外国人生徒に活躍の場を与えるために、この説明会に参加させ、中学生やその保護者の質問に答えさせている。例年、5人前後の外国人生徒とその保護者、若干の教育関係者の申し込みがあるが、平成20年度は21人の生徒とその保護者、数名の教育関係者が参加した。

 ウ その他の地域との連携

    豊橋市内の中学を中心に、本校職員が年間2度ずつ中学校訪問を行い、その折に外国人生徒の情報も提供してもらっている。

東三河教育事務所とは、通訳派遣の依頼で連絡をとり合い、豊橋市の国際交流協会や豊橋技術科学大学の留学生とも連絡をとり、情報提供をお願いしている。

(3) 学習支援について

ア 外国人生徒教育支援員(以下、「支援員」とする)

          基本的には生徒の母語を話し、授業の補助や業後の学習会だけではなく、生活面や進路にかかわる相談まで、実際の問題に対処する。本校では生徒の母語を話す優れた2人の支援員がきめ細かい指導を実践している。

イ 取り出し授業

     第1学年では、5教科で取り出し授業をしている。教科書は本校日本人と同じものを使用し、高度な内容を分かりやすく教えている。進度に関しては、日本人の3分の2くらいになる教科もある。支援員が付いて、難解な語句の説明を加える場合もある。

ウ 授業後の学習会

     日本語能力が十分ではないという理由で取り出し授業を受けている外国人生徒に対して、日本語能力を補うことも重要である。そこで週3日程度、業後学習会への参加を義務づけている。ここでは、漢字学習やその日の授業の補完などをする。支援員が指導している。

エ 定期考査当日の学習会

定期考査当日は、弁当を持参させ翌日のテストに備えた学習会を持つ。これも支援員が指導している。

(4) 学校行事について

 ア ちきり祭(本校の文化祭)    

     (ア) 平成19年度 

本校の文化祭には、国際交流会という企画があり、多文化共生教育の機会として役立ってきた。平成19年度は近隣の高校のタイ人留学生によるスピーチを実施した。また、本校の外国人生徒と日本人生徒のコラボレーションで、数名の有志によるダンス発表も行われた。教員も加わり盛大であった。司会は本校の1年生男子と3年生女子の2人の中国人が務め、一人が中国語で話し、もう一人がそれを同時通訳した。

このことにより、これまで中国人生徒の存在を知らなかった生徒にも、彼らの存在を印象づけることができた。聴衆として参加していた別の中国人生徒にもよい刺激となった。司会をした男子生徒は、この体験が自信につながり、平成20年度は生徒会執行部の一員として活躍している。

(イ)平成20年度

平成20年度は、北京オリンピックにちなみ、「教科書に載っていない中国!」をテーマにし、国際交流会を催した。夏休み中からスピーチ原稿を準備したり、中国クイズの問題を考えたり、2年生の3人の中国人がよく協力してくれた。ちきり祭当日には、体育館の司会の生徒に、外国人生徒選抜制度の本来の目的・受検資格などを分かりやすく説明してもらった。全校生徒に対しては、初めての機会であった。

この中国クイズを読み上げた生徒は、この体験で自信を着け、後述の日本語スピーチコンテストに参加する意欲を燃やすことになった。

イ 体育大会の準備・整理体操

   平成20年度の体育大会では、英語版のラジオ体操を採用した。次年度は中国語の支援員の力を借りて、中国語版を作ろうと意気込んでいる。気軽に外国語に接する機会を設けるのも多文化共生をすすめる手法である。

(5) その他の対応

    ア 図書の購入

   外国人生徒の教育と並行して、日本人が彼らの母語に親しむことができるようにすることも、双方向の多文化共生を考えるうえで大切な視点である。そこで、外国人生徒の母語(中国語・フィリピン語・ポルトガル語)の入門書を図書館に購入した。その結果、中国人の生徒がブラジル人の生徒と話すためにポルトガル語の入門書を借りたり、中国語やポルトガル語で外国人と会話したい日本人生徒が入門書を借りたり、多文化共生の機会が広がった。

イ 日本人保護者へのアピール

   合格者説明会では、外国人生徒の保護者用の通訳を支援員に依頼している。日本人と同じ入試で合格した外国人生徒の保護者が、日本語を十分に理解できない場合も想定している。説明会場ではポルトガル語、スペイン語、英語、中国語などで呼びかけを行い、該当する保護者に別室に移動していただいている。

また、合格者説明会で、外国人生徒にかかる入学者選抜について触れることにより、外国人生徒・保護者の存在について、新入生の保護者全員に印象づけることができる。

ウ 外国人生徒の保護者との意思疎通

保護者会で、2人のブラジル人の保護者が子供の学業成績に大変関心をもっていることが分かった。そこで生徒の日頃の状況や問題点についてポルトガル語で書いた手紙をそれぞれの生徒を通じて渡したところ、保護者には大変好評であった。

エ 外国人生徒同士の交流

  平成18年度までは、学年やクラスが異なると、外国人生徒同士でも交流がなかった。そこで、平成19年度からは学年を越えて外国人生徒を集めて自己紹介させ、可能な場合は業後学習会にも一緒に参加させるようにした。その結果、互いの存在を認識し、お互いが親しく感じられるようになったようである。

  オ 日本語スピーチコンテスト

    平成19年度から、外国人生徒(有志)に豊橋市国際交流協会主催の「日本語スピーチコンテスト」への出場を指導している。この機会に日本語、作文、読み方など基本的な指導ができるので、それだけでも大きな効果があるが、自分を振り返り、明日への一歩を踏み出させるためにもこれは有効である。また、自分の考えを大勢の前で発表するという体験が人間を一回り大きく成長させる。

   平成19年度は1年生のフィリピン人の女子生徒が参加し、豊橋市教育委員会賞(2位)を受賞した。このことが自信につながったのか、彼女は次年度、チャレンジコース(学習に意欲的な生徒を集めて指導するクラス)に在籍してよく努力している。平成20年度は2年生の中国人の男子生徒がこのコンテストに参加し、特別賞(3位)を受賞した。

 3 まとめと今後の課題

(1) まとめ

毎年、さまざまなタイプの外国人生徒が入学してくる。臨機応変に対応してきたが、その根本には3年間を見通した基本的な構想が不可欠であった。本研究の第一の成果は、学校全体として多文化共生教育に取り組む校内組織が確立したことである。

特に、3年間の教育プログラムが設定されたことにより、年度当初から学校全体の外国人生徒に対する指導の流れを全職員が共通理解して、外国人生徒の教育に当たることができるようになった。また、組織的な指導が確立したことや授業後の学習会への参加を義務づけたこともあり、外国人生徒の日本語能力、学習意欲の向上に大きく寄与した。

    第二の成果は、本研究への取組を契機に始まったさまざまな学校行事等へ外国人生徒が参加することによって生じた生徒の変化である。日本語に対するコンプレックスから、人前に立つことに消極的だった外国人生徒が、学校行事への参加により自信がついたという例がいくつかみられた。また、日本人生徒が、ブラジル人の同級生が話すポルトガル語に興味をもち、ポルトガル語のあいさつを覚えるようになるなど、外国人生徒との交流がすすみ、真の意味での多文化共生がはかられるようになってきた。

  (2) 今後の課題

本研究中に、他校の学習態度に問題があるブラジル人生徒の指導について支援をしたことがある。保護者が日本語を理解できないために、生徒がかかえている問題をポルトガル語に訳して、書面で保護者に伝えたのである。(それまでの保護者会では生徒を通訳にしていたが、この場合はそれが不適切だと判断したため。)おかげでその生徒は保護者に厳しく指導され、学習態度が改善されたということである。このような事例は今後も起こりうる。

外国人保護者への支援という点では、保護者宛の文書などを母語に翻訳できる支援体制整備が必要であるし、それを周知させるようなネットワーク作りが大切である。

    また、支援員を配置する際、その人選が難しいという課題がある。なぜなら、高校では科目が多岐にわたるうえ授業内容が高度であるため、どの科目の内容についても理解ができ、生徒に分かりやすく説明ができる能力をもつ人材を探さなければならないからである。生徒の母語での日常会話ができるというレベルでは、支援員は務まらない。

本校では、優れた支援員に恵まれたこともあり、本研究を通じて多文化共生教育の一つのモデルを示すことができたと考えている。今後は、日本人がもつ外国人に対する偏見や誤解を小さくする工夫を教育活動の中に位置づけ、日本人と外国人の相互理解を深めることで、真の意味での多文化共生がいっそう進むよう努めていきたい。

 

 

 

 

 

 

2 本校の多文化共生教育の流れ

(1)本校外国人生徒選抜の受検者数と合格者数および国籍

    愛知県の外国人生徒選抜は平成14年に始まった。

年度

受検者数

合格者数

国 籍(クラス分け)

14

3

2

 ブラジル、ペルー          (1クラス)

15

5

2

 ブラジル2               (1クラス)

16

5

5

 ブラジル2、ペルー1、中国2    (3クラス)

17

6

5

 ブラジル3、中国1、フィリピン1  (2クラス)

18

9

5

 ブラジル2、中国2、フィリピン1   (3クラス)

19

5

4

 中国3、フィリピン1             (2クラス)

20

3

2

 ブラジル2                    (1クラス)

21

8

4

 ブラジル2、ペルー1、中国1    (クラス数は未定)

(2)概略

  平成14年度 ・支援員制度が国の事業として始まるが、「定職を持たない者、1年限りの採用」という制限が付いている。

・外国人生徒指導者会議を設置する。

         ・業後学習会を始める。(この頃はまだ義務化していない。)

         ・生徒がブラジル人とペルー人だったために、ポルトガル語とスペイン語の支援員を置く。

         ・ポルトガル語支援員はブラジル人でスペイン語は日本人だったが、支援員に必要なのは語学力より学習の理解力だということを実感する。

         ・経済的理由により、年度途中で1人が退学する。

  平成15年度 ・残った外国人の方は2年生になっても日本語力が不十分だったため、国語・社会では引き続き取り出し授業をする。(2年生を取り出したのは例外的である。)

         ・この年の支援員はスペイン語とポルトガル語が堪能で、教員免許を持ち、義務教育の支援員体験もある日本人だったので、指導がうまく非常に有り難かった。業後学習会で1年生ブラジル人の日本語能力試験1級の指導をしてくれ、生徒がそれに合格したお陰で、卒業後に豊橋市教育委員会に雇用されることになった。

平成16年度 ・支援員の配当時間が減少したために3か国の生徒に対応できず、2か国語に絞らざるを得なくなる。 

・場面緘黙症と思われる生徒が入学する。日本語のハンディだけの問題ではなく、対応に気を遣う。この生徒は取り出さない方が本人もやり易いだろうと判断してそのようにする。他はブラジル人2人と中国人2人で、それぞれのクラスにまとめて取り出し授業をする。

・中国語の支援員(日本人)は大学で経済学を教えており数学が得意で、ポルトガル語の支援員(日本人)は大学で外国人に日本語を教えており日本語教育と英語が得意なので、業後学習会では支援員同士お互いが得意な分野で相手の生徒の面倒を見合うという方法を取る。このポルトガル語の支援員の方は現在も継続している。

・経済的理由により、年度途中で2人が退学する。

         ・この年度、外国人生徒選抜で入学した生徒が初めて卒業する。 

平成17年度 ・支援員制度が国の事業から県へと移行され、支援員は他の定職を持たず単年度に限るという条項が外されたおかげで、経験豊富で優秀な人材を継続的に配置できるようになる。

 ・前年度退学した生徒の一人が再入学する。

 ・3か国の外国人生徒が入学したが、それぞれの学力に大きな開きがあるため、従来は取り出しにしてこなかった数学でも取り出し授業をせざるを得なくなる。

・中国人・ブラジル人のために、それぞれの言語に対応する支援員を一人ずつ置く。しかしフィリピン人のための支援員は、ポルトガル語の支援員が英語で兼任する。クラスは中国人とフィリピン人を同じにする。

・ちきり祭の国際交流会で、本校留学生(ドイツ)が自国の紹介をする。また本校の中国人生徒は漢字を活かして、自国文化の紹介をする。

・再入学した生徒が家庭の事情で再退学する。 

  平成18年度 ・中国語支援員が中国人のバイリンガルに替わる。この支援員は優秀な人材であり、また親身に世話をしてくれ、現在に至っている。

・業後学習会に参加したがらない1年生の生徒の指導に苦慮する。

・2年生に進級して取り出されなくなった外国人生徒が、自分の勉強に危機感を感じ、業後学習会で1年生と一緒に勉強するようになる。

・外国人生徒と一緒に、2年生の日本人生徒も、業後学習会で勉強していくようになる。

・ちきり祭(本校の文化祭)の国際交流会で、他校の留学生(オーストリア、コスタリカ)を招待し、自国の文化を紹介して貰う。

・母国で不登校を経験した生徒が、本校入学後も不登校になり1年生半ばで退学する。

  平成19年度 ・この年から業後学習会を義務化し、合格者説明会で保護者の了承を得た上で始める。

         ・前年は業後学習会に参加しようとしなかった2年生の生徒が、同国の新入生が入ったためか業後学習会で勉強するようになる。

         ・日本人生徒が業後学習会に顔を出し、聞き覚えた中国語を試してみるという姿を見るようになる。

         ・愛知県教育委員会から多文化共生教育の研究を委嘱される。

         ・県教委教育委員の視察を受け、本校の外国人生徒支援の取り組み状況について説明する。

         ・多文化共生教育委員会を設置する。 

         ・多文化交流を促進する企画として、ちきり祭のステージにおいて本校の多国籍の生徒でダンスをする。また、他校の留学生(タイ)を招待し、楽器演奏をしてもらい、その後前日に準備したトムヤムクンの試食をする。

         ・10年経験者研修(異校種体験研修)で外国人生徒受け入れ校の取り組みを紹介する。

         ・岐阜県立東濃高等学校の学校訪問を受け、本校の外国人教育について説明する。

         ・豊橋市国際交流協会主催の日本語スピーチコンテストに参加した生徒が2位を獲得する。

         ・東京都立高等学校校長会の視察を受け、本校の多文化共生教育について説明する。

         ・1年生の後半から不登校気味だった生徒が2年生で退学する。      

  平成20年度 ・これまでにないタイプの外国人生徒にどう対処したらいいか、解決策が見つからない。2人とも授業中は真面目だが、プリントをすぐなくし、宿題は決してやらない。指導の結果多少我慢強くなったが、学習に対する積極性は見られない。

・夏休みに豊橋市が行う外国人児童・生徒の進路相談会で教頭が説明する。

         ・外国人生徒のことを日本人生徒がよく知らないため、ちきり祭の開会式で説明し、理解を深めさせる工夫をする。

         ・その会場で、中国人生徒が日本に来た当初から今までの体験を、ユーモアを交えて堂々と発表する。

         ・豊橋市国際交流協会主催の日本語スピーチコンテストに参加した生徒が3位を獲得する。

・多文化共生教育の研究結果を報告する。

3 平成17年度AKK(愛知県国際教育研究会)研究大会での研究発表

   「高校における外国人教育の実践と課題」 国語の授業から考える       発表者  倉内弓子

 

人口 377,270 人

外国人 17,348 人(4.6%)  ( H16.10.1現在)

                        

    



日本語が分からない

           

              

                     

                                     

                          



学校がつまらない

たまり場にたむろす

安心できる社会?

日本全体では外国人は約1%しかいない。

豊橋市は外国人が全人口の5%近くを占める。

特に県営岩田団地にはブラジル人が沢山住んでいる。

ここの子たちが通う岩田小学校は全校児童約1000人の内、92人が外国人(ブラジル人82人)。

地域住民の偏見

「日本人の子供だけを教えろ。外国人のために金を使うな。」

教師の無理解

「外国人を教育する義務はないし、特別扱いすべきでもない。」

外国人も税金を払っている。 → 教育を受ける権利がある。

外国人の子供たちが十分な教育を与えられず不良化して行くのは社会全体の問題である。

 

                          

   

        



愛知県内で実施するのは

小牧高校

衣台高校

 豊橋西高校 

 

         

    

               



選抜基準

 中学校の調査書

 筆記試験(国・数・英)

 面接

従来の外国人の多くは、日本語力の不足のため高校進学を断念していた。

調査書・ 選抜試験   → 能力はあっても日本語力の問題のため評定・得点が低い。

外国人生徒選抜     → 高校に入学する道が開けた。

H14年度から始まる。 → 本年度で3学年揃う。

筆記試験         → 日本人とは別問題(ルビあり)

  ※これでも日本語力が十分でない者にはかなり難しい。

                                     

 

1年生次

        で取り出し

  





2年生次以降

原則として取り出さない

 



生活言語と学習言語の差は大きい。  → 授業で使用する日本語の力に不足がある。

日本語力不足の前提で入学した。   → 1年目は支援員付き取り出し授業を受ける。

取り出し授業とは

1 原学級から外国人を取り出して、別教室で授業する。 

→ 同一時間に2教室で並行して授業が進行している。

2 教科書は日本人と同一である。

支援員とは

1 生徒の母語で授業中の通訳をする。 → 内容理解ができなければ語句の説明もできない。

2 業後学習会の指導をする。

3 定期考査当日の午後・長期休暇中は教科勉強の補助・日本語指導をする。

 

                   



義務教育の現場では、膨大な数の深刻な状況の外国人生徒を抱えている。 

→ 日常会話ができれば日本人クラスで勉強させざるを得ない。

しかし、日常会話と学習言語のレベルは大きく隔たっている。

→ 外国人生徒は日本人クラスで授業が何となく解る程度で過ぎてきた。

高校での取り出しはマンツーマンに近い形である。→ 十分に理解できる。

勉強が面白い。

               入学後半年の頃        勉強がはっきり解るようになってきた。

 

   

                    



日本語力の不足

 



母語の辞書を使わせる

日本語力の不足が大きい生徒 → 国語辞典の説明文の語句が理解できない。

→ 母語の辞書の方が正確に理解でき効率的である。

                             (特に抽象言語の場合)

ただし

頭の中で日本語と母語の間を往復する → 教材における思考の流れが止まる

従って、母語の辞書を使うのは、解りやすい日本語で説明してやっても理解しにくい場合に限る。

日本語力が付いてきたら     → 小学生用の国語辞典で理解できる。

教材に出てきた語句を使って、楽しめる短文を作って聞かせてやる。

 → 正しい用例を感得できる。

→ 慣れてくると自分でもその語句を使ってみたくなる。

現代文の教材に「おいたわしゅうございます。」という表現が出てきた時のことである。

教師はまず、古語の説明や音便から始めて、この言葉の意味を解説した。

併せてこれが大時代的な言い方だと付け加え、だから時代劇という設定なのだと説明した。

するとその授業の後、ある外国人生徒が、風邪で咳き込んでいる英語の教師に向かって、

「おいたわしゅうございます。」と言って、その教師を大喜びさせた。

                 

                      



生徒の母語を活用する

 

 



生徒の親近感を得るために教師ができること

中国語     → 漢詩を中国音で読む。

ポルトガル語 → 「イパネマの娘」を歌って脚韻を説明する。

                                  など

                          



文化を味わう

リズムを楽しむ

視覚で楽しむ

ラテン文化の子→ 「いろはうた」がラップのリズムになる。

教師もつられて踊り出す。

ひらがなの成り立ちを書いてみせる。

古典の本文を連面体で板書する。

 



国語便覧を活用する。

母国の文化を言わせる。→ 自国の文化に誇りを持たせる。

                  教師の趣味・興味を満たす。

こういうことが文化交流として大切である。

 

           

                     

                 



教育からこぼれる

思考の道具が乏しくなる

 

《日本社会の責任》 

          

                 



真の国際化を!

 



人間は言葉で考える。   → 言葉不足は思考の道具不足につながる。

(中途半端な定着では、どちらの言語も考えるための道具にならない。)

学校で様々な教科を学ぶ。→ 正しく考えるための材料を得る。 

(学べなければ、判断材料が不足しがちになる。)

十分な教育が与えられなければ不良化する場合があるのは、外国人も日本人も同じである。

外国語を学ぶ

外国の文化を理解する

外国人と話す                      それも確かに立派な国際化だが

外国人にも十分な教育を与え

外国人が真剣に学ぶ姿を日本人に示し

お互いを正しく理解させる              この国際化も重要である。

「ブラジル人」「中国人」ではなく、「リカルド君」「李さん」になれば、身近に感じるようになる。

まじめに勉強する外国人生徒の姿が、外国人に対する偏見を持たない日本人生徒を育てる。

豊橋西高校でともに学んだ生徒たちがお互いを理解し、それを社会に広めていくことを望む。

 

 

 

4 本校における外国人生徒の3年間の教育プログラム

5 豊橋市の外国人児童・生徒の進学説明会

日時   平成20年8月13日                             

場所   豊橋市役所

主催   豊橋市 

目的   自分の将来への意識を高め、自分の希望する進路に向けて、学習・生活ができるようにする。

     進学・就職決定を支援し、進路情報を提供する。

説明者  豊橋教育委員会   豊橋西 立花教頭  豊橋市立 榊原教頭(夜)

参加者 ・ブラジル系(50人程度)         20分ずつ説明(本校10:20~10:40)  

・中国・スペイン・フィリピン系(20人程度) 20分ずつ説明 (本校11:20~11:40)

構成   全体会 市教委15分  豊橋西20分  豊橋市立20分 - 前後に個別相談会をした。

資料   市作成の説明冊子(生徒の母語)

近隣の私立高校・通信高校等の学校案内が閲覧できるようにしてあった。

愛知県の高校入試全般と外国人生徒選抜入試について説明した。

・一般入試、推薦入試 いずれも中学の評定が重い。

・言葉の壁を取り除き、教科を学習することにより、やがて有為な国際社会人へと育っていく。

・西高での教育内容(外国人生徒選抜該当者への取り組み、取り出し授業などを中心に)を説明した。

・苦手にしていることを特技に変える(役に立つバイリンガルになる、まだ能力が解らないので努力すべきだ、日本では高卒でないと就労の選択肢が少なくなる。)ことについて話した。

*     以前からこうした説明会は行っていたそうだが、今年初めて高校側に声をかけた。

市、中学とのネットワークが広がり、お互いが抱える課題を共有できる。

保護者・児童生徒本人の悩み・希望などが手に入る。

*     市が配布する説明冊子等事前に入手できるとよい。 

高校入試、西高・市高の簡単な説明は母語に沿い作成してある。

* 事前に学校案内を100程度送付しておくとよい。(交換に説明冊子も先に入手できたかもしれない。)

* 小・中学で外国籍児童が増え、抜き差しならない状況がある。

   多米小学校(夏目校長)はおよそ5人に1人が外国人か。(約150/820)

* 会についてのアンケートを行うようだが、調査結果を入手するとよい。(一応、市教委には依頼する。)

* 本校卒業生は 市のスクールアシスタントをこの3月で辞職した。

* 家庭環境に関する情報を手に入れないときちんとした教育が難しい。

  ・保護者の来日理由・意識・生活状況・滞在期間・本人の希望など

   プライバシーに関わることだが、子供のためであることをきちんと説明し、理解をしてもらう

   → 特別支援プログラムと同じように、外国人支援プログラム(36ヶ月)を策定、連絡帳の様式策定・所持など考案する必要が有る。

*     各種説明会の見直し、工夫が必要である。

* 県主導の通訳登録制度策定、配置、公開が望まれる。

6 本校での外国人生徒選抜説明会・合格者説明会

(1)外国人生徒選抜説明会

  a 時期について

     例年10月下旬の土曜日に開催している。

  b 通訳について

     事前に申込みのあった生徒の母語の通訳を用意する。(生徒には不要でも保護者に必要な場合もある。)

     東三教育事務所の通訳、豊橋技術科学大学の留学生などに依頼する。

c 本校外国人生徒の参加について

   実際の学校生活に関する質問などに答えさせ、自己の存在価値を確認させる。

   来校した中学生に親近感と安心感を与える。

d 説明内容について

(a)取り出し授業

   国・社・理・英の毎時間、別教室で授業を受ける。

   高校のレベルの内容を解りやすく教える。

   ※ 義務教育での取り出しとは違うことを強調する。

(b)支援員

   授業の補助や、業後学習会の指導をしてもらう。

(c)業後学習会の義務

      週3回程度とテスト当日の午後は学習会に参加しなければならない。

(2)合格者説明会

a 体育館で、外国人生徒と保護者を一画に集め、日本人親子に対する講話に通訳を付けて説明する。その後、外国人保護者を別室に集めて事務・教務部・生徒指導部・総務部・保健部のそれぞれの説明を通訳付きで行う。その間、外国人生徒は日本人生徒と一緒にHRで注意事項を聞いたり、教科書を買ったりする。

b 説明に必要なプリントは、中国語、ポルトガル語、英語(次ページに掲載)を用意する。

c 外国人生徒選抜説明会に参加していない保護者もいるので、内容的には同じこと(取り出し授業についてなど)も説明する。

d 書類の記入など、日本語の不自由な保護者のサポートをする。

  e 授業料減免の手続きをする場合は、会の終了後事務で受け付ける。

<外国語による配布資料>

外国学生被录取者说明会

关于有关学费事项(事务)

   银行转帐付款及学费减免手续。(符合学费减免条件者会议结束请留下来填表。)

※     根据条件可减免学费,但是对教科书费、学生制服、运动服装等必需品不给予优待。  

有关日本体育振兴中心(保健部)

有关高校授课说明

〈1〉单位

       如1周一次的课上完一年为1单位

〈2〉升级(晋级)

留级要根据学业成绩和履修

       学业成绩∶ 上课态度(包括作业)、提交物及考查成绩来评价。

       履    修(完成学业)∶ 上课态度、缺课时数来判断。

〈3〉关于各别授课(取り出し授業)(中小学的各别授课着重于提高日语教育水平,而高中的各别授课

有以下特点。)

    ◎教科书∶使用与同年级相同的教科书

◎其上课的学科和时间与同年级同步进行。

◎各别授课内容∶国语综合、现代社会、理科综合、英语I等的每节课。

(每周一共有30节课,其中12节课上各别授课)。

    ◎支援员(辅导员)∶有些课由会讲外籍学生母语的支援员参与辅助。

◎在这一年的各别授课期间如条件许可,随时都可以回原学年班上课。

关于课后补习班

   为了提高日语能力和课堂理解能力,必须参加课后补习班 (优先于部活动) 。   (即使学习能力很高,但是由于日语水有限通过外籍学生入学考试而入本校的,所以必须入学后补上日语能力。)

关于考试期间的补习课

  考试期间及考试当天要实行补习课。(请备午饭。)

本校外国学生毕业后的升学及去向

H14年度入学生(秘鲁)          中日本自动车短大

H15年度入学生(巴西2)        丰桥市教育委员会、铃木汽车公司

H16年度入学生(秘鲁、中国2)   爱知大学、

浜松职业能力开发短期大学校、归国

H17年度入学生(中国、菲律宾2)大饭店银波庄

爱知大学短期大学部(经营学部)

H18年度入学生(中国2)         东京明海大学(外国语学部中国语学科)

                              名古屋外国语大学(现代国际学部英美语学科

其他∶HRを終えた生徒と合流する。

 

 

 

Reunião Explicativa para Pais dos Aprovados

                                           2008.3.25 terça-feira

1. Aviso da Administração da escola:

l         Sobre taxas escolares e outros.

l         Sobre transferência bancária das despesas escolares.

l         Sobre o Auxílio Escolar: para mais informaçoes e inscrição, favor permanecer após a reunião. Esta “Bolsa Escolar”, ajuda a pagar despesas escolares, porem não inclui materiais, roupa de ed. fisica e transporte.

2. Aviso da Enfermaria:

l         Sobre o Seguro Escolar “Nippon Supotsu Shinkou Centa”.

Seguro que cobre despesas hospitalares em caso de acidente no trajeto escolar.

3. Aviso da Secretária:

l         Aulas do colegial: o sistema das aulas são por créditos.Uma matéria com 1 aula por semana, durante 1 ano equivale a 1 crédito.

l         Aprovação: O colegial não é ensino obrigatorio no Japão, por isso, para passar de ano, o aluno terá que ter boas notas e não faltar, senão poderá ser reprovado.

A avaliação conta com as notas das provas, o comportamento do aluno, e a apresentação das tarefas e trabalhos escolares.

l         Aulas de reforço para estrangeiros:  (Toridashi jugyou)

Durante o primeiro ano, terá um professor que dará aula paralela (de reforço) para estrangeiros na outra sala de aula no mesmo tempo da aula. O material é o mesmo da sala de aula.

Apoio das aulas de:

Japonês-Kokugo        (5 vezes por semana)

Estudos sociais atuais   (2 vezes por semana)

Matemática            (5 vezes por semana)

Ciências generais       (2 vezes por semana)

Inglês           (4 vezes por semana)   total 18 vezes por semana

 Se o aluno estiver acompanhando bem a classe, entendendo bem a máteria ele poderá deixar a classe de reforço e voltar a frequentar todas as aulas da classe, mesmo no meio do ano.

4. Reunião de estudos após a aula:

   Terá reunião de estudos após as aulas. Um assistente de línguas irá orientar os estudos. Caso tenha clube-bukatsu neste dia, o aluno estrangeiro deverá optar por esta reunião de estudos.

5. Reunião de estudos para as provas:

● Uma semana antes dos testes regulares e no dia do teste, terá uma reunião de aprendizado.

● Após a prova, o aluno permanecerá na escola para estudar para a prova do dia seguinte. Favor trazer almoço.

6. Relação de ex-alunos estrangeiros desta escola:

Formandos:                             Seguiram para:

2005 (1 peruano)

      Naka-Nihon Jidosha Tandai (Faculdade de Curta Duração de Automobilismo)

2006 (2 brasileiros)

      Toyohashi-shi Kyoiku Iinkai (Comissão Educacional da Cidade de Toyohashi),

Suzuki Jidosha (Suzuki Automóveis)

2007 (1 peruano,2 chineses)

      Aichi Daigaku (Universidade de Aichi), retorno ao país,

 Hamamatsu Shokugyo Noryoku Kaihatsu Tanki Daigakko (Universidade Politécnica de Hamamatsu)

2008 (1 brasileira,1 chinesa,1 filipino)

  Suzuki Jidosha (Suzuki Automóveis), Aichi Daigaku (Universidade de Aichi), Hotel

7 愛知県総合教育センターでの外国人児童・生徒指導者研修会

 センターでは年間4回、小・中・高の外国人生徒の指導者研修会を実施している。

 この会は、外国人児童・生徒の教育問題を検討して共通認識を持ったり、解決策のヒントを得たりして、小・中・高が連携することを目的としている。研修内容は大体次のようである。

第1回   講師による講話、実践報告

第2回   小学校の取り出し授業参観と意見交換

第3回   中学校の取り出し授業参観と意見交換

第4回   実践報告と意見交換

 この会に出席すると、義務教育の現場が抱える外国人教育の問題が、我々教師の手に負える次元にはないことを考えさせられる。そして、それら様々な問題がいつまでも解決できないまま残されていることが悲しい。並々ならぬ努力の結果本校に入学できた外国人生徒の陰に、色々な意味で恵まれない多くの外国人生徒らがいるのを、大抵の日本人は知らないまま通り過ぎている。

 かつてこの研修会で本校の教師が、義務教育の教師から「高校の外国人教育は恵まれすぎている。」という叱責を受けたことがある。彼は、一向に改善されない現状に対する苛立ちをぶつけてしまったのであろう。筋違いな攻撃ではあるが、現場がそこまで追いつめられていることが察せられる。

 本校ではこの研修に、毎年別の者が参加している。それは、本校の外国人生徒達がどのような状況を経て高校に進学してきたのかということを知るためである。そうして、義務教育における外国人教育の現状が、少しずつでも増えていくことを目指している。

 

8 平成20年度ちきり祭(本校文化祭)での国際交流会

日時  平成20年9月18日(木) 10時30分~11時30分

場所  本校体育館および多目的ホール

目的  1 外国人と交歓し異文化理解を深めることにより、お互いに心の交流を体験させる。

2 他国を知ると同時に自らの国を知る機会とする。

出演  本校2年生中国人生徒(3人)

内容  (1)全体会(体育館)

a 本校の外国人生徒選抜に関する説明

      b 外国人生徒のスピーチ

    (2)分科会(多目的ホール)

a 中国クイズ(正解者の勝ち残り形式)

      b 中国語講座

(1)全体会:外国人生徒のスピーチの原稿

<演題> 「異文化へのアプローチ」                       2年4組  武田新水

 ちょうど3年前のある曇りの日の午後、北京から飛行機に乗って日本に到着しました。少し飛行機酔いもありました。そして、おじいさんの家に泊まりました。最初の夕食は、ご飯、味噌汁、焼き魚やその他のおかずなどがありました。中国では魚を油で揚げるので、焼き魚は初めてでした。とてもおいしく感じました。おじいさんの話によると、日本人の主食はご飯で、海に近いので魚も多い。私の故郷は内陸にあってまんじゅうやラーメンが主食で、豚肉が多い。二つの場所にこんなに違いがあるとは思っていませんでした。

 次の日はおじいさんと一緒に出かけました。町には人が少なく、自動車がたくさん走っていました。でも、左を走っているので変な感じでした。中国の車は右を走っているのです。日本の町はきれいでゴミがありませんでした。中国ではあちこちでゴミを見よくました。こちらの橋の下には澄んだ水が流れているようです。遠くから高い山が現れ、その上に雲がありました。日本は島国で山や温泉が多く、私の故郷は平原で山がありません。

 1週間後に中学校に入りました。初めて目の前に現れたのが下駄箱でした。それはスリッパの置き場で、校舎に入る前にスリッパに履き替えるのだと先生が説明してくれました。中国で私の通った学校に、こういうものはありませんでした。そして教室に入り、自己紹介をして着席しました。先生が親切にアルファベット、平仮名と片仮名を紙に書いて私にくれました。放課後にはみんなが私の周りに集まって、何か珍しげに見られている気がしました。女子の制服がスカートで、しかも短くてびっくりしました。中国の制服は女子もズボンです。ミニスカートなど考えられません。最初の日の給食はご飯、味噌汁や焼き魚などでした。非常に美味しかった。運動場に何本も桜の木がありました。それは春に咲き、日本の国花と呼ばれています。中国の国花は牡丹です。学校にはまた、プールがありました。中国の学校では柔道も剣道も水泳もやりません。

 国と国との間にこんなにたくさん異なる所があるのだと実感しました。これからもお互いに交流し、異文化のおもしろさを楽しみたいと考えています。

<補足説明> この生徒は中学2年の半ばで日本の学校に編入して、来日3年後でこの文章を書いている。むろん意味の通じにくい所などは、教師が正しい日本語を指導したが、この文章の大部分は本人が書いてきたままである。

 明るくきわめてまじめな性格で、家庭学習も実によくやっている。両親が日本語を話せないので、彼は家に帰れば中国語の世界で生活している。入学当初は、そのために日本語の習得の遅れが心配された。そこで、その日の出来事や考えたことなどを文章に書いて来させ、それをもとに放課後に書き方の指導をするということを、中間考査まで続けた。根気強い指導と生徒自身の大きな努力の結果、彼は教師の予想以上の進歩を遂げた。

こういう優秀な生徒も、外国人生徒選抜がなければ、本校に入学できなかったはずである。そのことを考えると、この制度の意義は非常に大きい。

(2)分科会:中国クイズの原稿

<準備>  北京オリンピックの年でもあり、「教科書には書いてない中国を知ろう!」という企画を立てた。そして夏休みの間に、中国人生徒、支援員、教師が集まり、中国クイズの検討をした。まず、中国人生徒が自国と日本の違いで驚いたことなどを挙げ、そのことから彼我の習慣や文化の違いを考え、それをクイズ形式に直し、最後に解説で簡潔に説明するように企画した。そして、この会に参加した者たちが、楽しみながら中国について考えてくれることをねらった。また、簡単な挨拶を教えるために、B紙に四声についての説明を書いて掲示に備えた。以下は、その中国クイズの原稿である。

1 中国の歴史は何年前から続いていると言われるでしょうか。

 A 2000年   B 4000年   C 6000年

答 B(おおざっぱに「中国4000年の歴史といわれています。」)

 2 中国の人口はどれくらいでしょうか。

 A    8億人   B   13億人   C   20億人

 答 B(約13億人と言われていますが、国が広すぎるために、すみずみまでつかめません。)

3 中国の一般家庭には、平均何人の子供がいるでしょうか。

 A 1人   B 2人   C 3人

答 A(中国では「一人っ子政策」を取っています。2人目からは、親が罰金を払います。)

4 日本語は東京の言葉を基本にしていますが、中国語はどこの言葉を基本にしているでしょうか。

 A 北京   B 上海   C 香港

答 A(北京です。中国人同士でも、よその地方の言葉はわかりません。今ではテレビで北京語を話すので、みんな北京語を理解できます。)

5 中国の車は、道のどちら側を走るでしょうか。

  A 右側   B 左側   C  どちらでも良い

答 A(日本とは逆です。)

6  北京オリンピックのために、中国政府が市民に習慣づけようとしたことは何でしょうか。

 A 順番に並ぶために列を作る。              B 資源を節約するために買い物袋を持参する。

  C 子供が夜遅くまでテレビを見ないようにする。

答 A(中国の割り込みは有名です。日本人はトイレに並ぶとき前の人とくっつかないようにしますが、中国では隙間があれば割り込んできます。割り込まれた日本人が、後ろの中国人に「隙間を空けるな。」と怒られたこともあります。北京オリンピック開催が決まってから、中国政府は小学校の子供にマナー教育をして、親も変えようとしました。うまくいったかどうかは知りません。)

7 中国では、何人かの友達とジュースを買うとき、どうするでしょうか。

  A そのときお金のある一人が、全員分のお金を払う。    B 誰かが1本だけ買って、全員で少しずつ飲む。

C  全員が1本ずつ買う。

答 B(ジュースは200ml くらいの小さなものでも、分け合って飲みます。)

8 中国で普通にするのはどれでしょうか。

 A 挨拶の時、お辞儀をする。          B 食事をして、それぞれ自分の食べた分だけ払う。つまり「ワリカン」

 C 電話でお互いに名前を言わない。

答 C(中国では、挨拶のお辞儀をしません。ワリカンということもせず、そのときに払える人が全員の分を払います。電話では、かけた方も受けた方も、どちらも名前を言いません。最後まで話しても、相手が分からないときがあります。そういうときは、相手に名前を聞きます。)

9 中国で普通の人が絶対に食べないものはどれでしょう。

 A 玉子かけごはん    B やきのり   C たくわん

答 A(中国では、基本的に食材を生で食べることをしません。だから、刺身も食べません。)

10 中国でほとんど見られないものはどれでしょうか。

  A 信号   B 公衆電話   C 自動販売機

答 C(信号も公衆電話も、チラホラあります。自動販売機は空港にあるだけです。)

11 中国の家庭で普通やらないことはどれでしょうか。

  A  家の中で靴を履いたまま生活する。   B  同じお風呂のお湯に、家族が一人ずつ入る。    C  自転車に鍵を掛ける。

答 B(普通はシャワーを使います。湯船に入る場合でも、一人使うとお湯は流してしまいます。)

12 中国ではテストの選択肢で、正解と思ったものにどんな印を付けるでしょうか。

 A 星印   B ○を黒く塗りつぶす。   C チェックを打つ。

答 C(僕は最初、日本で○を打つことにびっくりしました。) 

13 中国の一般的な学校にあるものはどれでしょう。

 A 理科室   B 体育館   C 調理室

答 A(体育館がないので、雨の日は体育が無くなります。学校には家庭科の時間がありません。料理は親が作るのを見て学びます。お客様がいらっしゃる日は、お父さんが料理するのが普通です。)

14 中国の一般的な学校でやるのはどれでしょう。

 A 水泳   B 音楽   C 太極拳

答 B(中国の学校には、普通プールがありません。だから、体育の授業に水泳はないのです。太極拳は学校の授業ではやりません。)

<当日> 中国クイズでは、選択肢や解説を聞いた生徒の間から面白がったり驚いたりする声が湧き、みんな生き生きと楽しんでいた。11問目で全員が敗退してしまったので、敗者復活戦をした。そして優勝者にはささやかな中国菓子を賞品とした。

 中国語講座では、まず四声について説明した。語の抑揚が変わると別の意味になるということを、3人の中国人生徒が実際に発音してみせた。生徒達は聞き慣れた「ニイハオ」を正しく発音する指導を受け、楽しみながら発音していた。

3人の中国人生徒が協力し合い、司会、クイズの出題、B紙の掲示と、それぞれベストを尽くして臨んだ結果、参加者も大いに乗ってくれた。それが、彼らの満足感と自信に繋がったようだ。クイズの出題を担当した生徒は、日本語スピーチコンテスト出場への意欲を見せるようになった。

9 日本語スピーチコンテストの原稿

次に豊橋市国際交流協会主催の日本語スピーチコンテストの原稿を掲げる。本校では平成19年度からこのコンテストへの出場を指導し始めた。これを題材として日本語、作文、読み方など基本的な指導ができる。また、自分を振り返り、明日への一歩を踏み出させるためにも大きな効果が期待できる。そして、自分の考えを大勢の前で発表するという体験を経て人間が一回り大きく成長することも狙っている。

(1)平成19年度の原稿

<演題> 「先輩たちとのダンスパフォーマンス」               1年5組  鹿摩ベイア

私は豊橋西高校の鹿摩ベイアです。 私が今日お話しするのは、高校に入って、最初の文化祭のことです。

 私が日本に来たのは、中1の2学期でした。そのころは日本語もまだあまり話せなくて、そのせいで友達も少なく、集団行動もとても苦手でした。そんな自分がいやだったので、高校に入った時は、自分から話しかけて、友達を作りました。言葉も、最初の頃よりは、できるようになっていたので、クラスの人達とも話せるようになりました。

 私は授業後の学習会に参加して、そこで3年の先輩と、同い年みたいに、仲よくなりました。そんなある日、3年の先輩達が、高校生活最後の文化祭に、ダンスをするという話を聞きました。私は1年生だから、関係ないなあと思っていたので、誘われたときはびっくりしました。ステージで踊るのは、すごく不安でしたが、その話を断りたくなかったのです。踊りは好きだったし、誰かが私を誘ってくれるのは、それが初めてだったので、とてもうれしかったのです。

 そのうち、踊る仲間もだいたい決まって、練習を始めました。実は、私以外、全員3年生で、何人かの先生も一緒に踊ることになっていました。総勢16人の、生徒と先生のコラボレーションという、秘密の企画でした。振付がむずかしくて、曲のテンポも速いので、ほんとに自分がこれを踊れるのか、ちょっと不安でした。それに夏休み中、私はフィリピンに帰ることになったので、みんなと一緒に練習することができなかったのです。

 2学期になって戻ってきた時は、みんなほぼできていて、私はもう追いつけないかと、すごく弱気になっていました。だけど、先輩達は「大丈夫、まだ時間はあるよ。練習すればきっとできるようになる」と言ってくれました。私はそれを聞いて、あきらめないで、もっとがんばろうと思いました。最初の頃、話もできなかった先輩とも、毎日練習しているうちに、冗談が言えるぐらい仲良くなりました。練習は、朝練も授業後もあったから、とてもハードだったけど、それが一番の楽しみでした。みんなと一緒にいることが、すごく楽しかったのです。

 だから本番が近づくにつれ、これが終わったら、みんなとは、もうあんまり会えないんだなあと思いました。みんなは3年生です。文化祭が終わったら、受験勉強で忙しくなるので、こうやって一緒に楽しく過ごせるのは、本番までだと思うと、さみしくなりました。いつまでも続けばいいなあと思ったけれども、そうもいきません。私は、絶対に、本番を、一生の思い出にしたいと思いました。

 本番は3回踊るはずが、トラブルのため、2回になってしまいました。それも最初は失敗が多くて、もうだめかと思いました。1回目でやめたいと思いました。2回目は閉会式の前に、全校生徒の前で、ステージに上がりました。最後なので、失敗は許されません。緊張しすぎて、前に座っている生徒達を見ることができませんでした。ダンスが盛り上がってくると、生徒の喜ぶ声や、拍手が聞こえてきて、何だか楽しくて、うれしくなりました。そしてだんだん緊張もとけて、思いきり踊ることができました。踊り終わったとき、みんなすごい笑顔で、私と同じ気持ちなんだなあと、よくわかりました。

 私はこの出来事を絶対に忘れません。私はこのダンスをやって、本当によかったと思っています。先輩達のおかげで、こんなすばらしい経験ができました。また、諦めないで、頑張ればできるということを、教えられました。私もいつか先輩達みたいになりたいです。これからも、もっといろんなことを体験して、自分をもっと成長させていきたいと思います。

 以上です。ご清聴ありがとうございました。

<補足説明> この生徒は中学1年の中頃に、日本の学校に編入した。明るく、優しく、素直で、語学的能力もかなり高い。アルファベットの文化で育った生徒に多く見られるとおり漢字を苦手としているが、その他の教科ではよく努力しており、学習効果が高い。また、文章を書くことを厭わず、日本での3年半の生活を経た時点で、ほとんど間違いのない文が書けるという点で有望である。もともとダンスが好きで、母国でもよく踊っていたという。それがちきり祭で生かせたことは幸せであった。

将来は看護師となることを希望している。

(2)平成20年度の原稿 

<演題>  校訓「為せば成る」                        2年3組  孟 慶洋

  僕は小さい頃から、勉強はやらずに、友達と遊んでばかりいました。おかげで、とてもうまく人間関係ができましたが、勉強は全然できない子でした。

  中学2年の9月、親の仕事の関係で日本に来ることになりました。涙を呑んで、小さい頃から遊んでいた友達と別れて、日本に来ました。

  僕が日本に来た最初の1年は、本当に忘れられない1年でした。僕が一番ショックを受けたのは、日本の町です。朝、学生達以外は、ほとんど誰もいません。中国の町は、朝でも夜でも深夜ですら、いつだって歩いている人の姿が見られます。駅に行くと、大変な人波にあいます。まるで東京のラッシュです。

  次のショックは制服でした。中国では、どこの学校でもジャージーみたいな制服を着ていました。学生服を初めて見たときは、軍隊の服かと思いました。中国でも『スラムダンク』は有名ですが、僕はあの制服を冗談だと思っていました。だから、自分がそれを着ることが、ものすごく嫌でした。腹が立ちました。でも、今はもちろん慣れました。

  中学校に行っても、先生の言っていることはほとんど解りませんでした。だから授業中は寝ていたり、よそ事を考えていたりしていました。家に帰ると、ほとんど毎日、インターネットで中国の友達と連絡を取り合っていました。

 進路を決めるとき、親に「高校に入らなければ働きなさい。」と言われて、まだ日本語も十分に理解できないので、働けないと思いました。そして、もし高校に入れたら、しっかり勉強しようと考えていました。

  しかし、豊橋西高校に入ってみると、だんだん、勉強はそんなに簡単にできるものではないと、気づいてきました。毎日、放課後には、外国人が集まって学習会をやります。僕はサッカー部に入ったので、窓の外ばかり見ていて、よく叱られました。1学期の成績で1を3つも取ったときは、学校をやめたいと思いました。それでも、先生達や親が励ましてくれて、もう一回がんばろうと決めました。校訓の「為せば成る」を見て、サッカー部を辞め、勉強一筋にしました。そして、勉強というものは、努力すれば少しずつ分かってくるし、そんなに難しいものではないと思うようになりました。また、解れば面白いし、やる気も出ます。その結果、2学期には1が無くなりました。

  2年生になって、もっと勉強するようになりました。去年の最初は、学年で後ろから10番目くらいだったのが、今では学年で3分の1くらいに入っています。日本人でも合格しにくい朝の学習テストで、ただ一人の満点だったこともあります。その次の朝のテストからは、日本人も半分くらいの人が満点を取るようになりました。きっと、みんな、「為せば成る」ということが解ったのでしょう。先生は、「これこそ切磋琢磨ということだよ。」と教えてくれました。僕たちは、お互いに磨き合ったのです。

  初めは、日本に来ることが嫌でした。でも、日本に来ることは、僕のさだめだったのかも知れません。そして、日本に来なければ、これほど勉強しなかっただろうと思っています。今になってみると、さぼっていた自分が悔しく思えます。これからも「為せば成る」の言葉を信じて、努力を続け、大学を目指していきます。

<補足説明> この生徒は、中学2年の半ばで日本の学校に編入した。本校に入学してからの半年間は勉強に対して根気が続かず、心配される状態だった。しかし、業後学習会で支援員が母親のように親身に根気強く面倒を見てくれたお陰もあり、落ち着いて勉強できるようになった。そうして、きっかけをつかむと目覚ましい進歩を遂げた。現在は2年生で、大学進学を目指して非常に意欲的に勉学に励んでいる。

コンテストは2学期末考査の前日であったため、テスト勉強の妨げにならないかと懸念された。しかし、彼が参加の意思を強く示したので、自分の体験から考えたことや、これからどのように生きていきたいか書くように指導した。すると本人は一気に書き上げてきた。言いたいことが十分に胸の中で温められていたらしい。日本に来て3年だというのにこれほどの文章が書けるとはこちらも予想しておらず、少なからず驚いた。教師としては、若干の助詞の間違いや文の順序を適切に入れ替える程度の手直しをしただけである。

平成20年度のコンテストは参加人数も多く、レベルが高かった。彼はその中で堂々3位の入賞を遂げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10 外国人生徒の保護者への連絡

 外国人生徒の保護者たちは、6月の保護者会で子供の勉強のことを心配していた。しかし、その場ですぐにポルトガル語の対応ができなかったので、後日手紙にして生徒に持たせた。保護者はすぐに返事をくれた。この手紙を貰って嬉しかったようである。下に、第2回目の連絡を掲げる。

A君のご両親へ

 秋ですね。次第に寒くなってきましたが、お元気ですか。

 A君は、学校生活を楽しんでいます。授業中は、まじめに勉強してよく理解しています。しかし、授業後に十分な勉強をしません。だから、理解したことが定着しません。

 外国人生徒は、1週間に3回ほど、業後学習会に参加して、勉強しなければなりません。しかし、彼は部活のために、時々、業後学習会に参加しないことがあります。私たちは、これまで、彼の生き甲斐のために、部活にも十分参加させました。でも、もうそれでは彼のためにならないと考えるようになりました。彼は、高校で必要な漢字の4分の1しか読めないのです。

 業後学習会に参加しない分の漢字学習は、家でやるようにA君にプリントを渡します。けれども、それについてのテストをやると予告しても、彼は大抵、勉強することを忘れます。これでは、来年、日本人と同じ授業になると、全くついて行けなくなります。

 だから、私たちは彼の部活を制限することにしました。まず、業後学習会をやってから部活に行くようにさせるつもりです。

 そのことについて、どのように考えますか。率直に書いてください。

Para pais do A

  Nós estamos no outuno. Ficou frio, não é ? Tudo bem?

  Gabriel diverte-se nas atividades na escola. Ele estuda bem e entende nas aulas. Mas ele estuda não muito depois das aulas. Por isso ele não cosegue fixar estudos dele.

  Os alunos estrangeiros têm que participar na reunião de estudos depois das aulas três vezes por semana. Porém de vez em quando ele não participa a por causa de clube. Nós permitíamos que ele joge bastante no clube até agora para motivação a vida dele. Mas agora não achamos que isso é bom para ele. Porque ele sabe ler só um quarto de kanjis que ele precisa no colégio.

  A auxiliar de idiomas entrega as cópias que contém matéria para prova quando ele falta á reunião. Mas ele esqueça estudar sempre. Então ele não vai entender os estudos apesar de estudar com outros alunos japoneses desde próximo ano.

   Por isso decidimos limitar clube dele. Pretendemos fazer ele jogar clube depois de estudo. Achamos que o primeiro é estudos e o segundo é clube.

   Escreva franquamente sobre sua opinião em outro papel, por favor.          

11 購入図書一覧

 次に挙げるのは、愛知県の研究委嘱の助成金で購入したものや、最近購入した語学教材の一覧である。日本人や中国人生徒がポルトガル語を話したがったり、あるいは日本人が中国語に興味を持ったりして、こういう教材に手を伸ばしている。

著者名

書名

出版社

西平 英夫

中国語 はじめの一歩

筑摩書房

ロベール・シルヴィ

初歩の中国語

三修社

シェルダン・シドニィ

中国語はおもしろい

講談社

シェルダン・シドニィ

CDエクスプレス 中国語

白水社

柳田 理科雄

ステップ30 1か月速習中国語

日本放送出版協会

杉浦 日向子

カタカナ音符でだれでも話せる中国語

情報センター出版局

シャスターマン・ニール

これが言いたかった 中国語の生活会話

白水社

戸田盛和

タイ日観光用語辞典

サムナックビムバーサレワットタナタム

戸田盛和

ゼロから話せるタイ語

三修社

戸田盛和

ゼロから話せるフィリピノ語

三修社

シブサワ コウ

CDエクスプレス フィリピノ語

白水社

カク ミチオ トンプソン・ジェニファー

CDエクスプレス タイ語

白水社

澤井 繁男

日ポ対照生活会話ノート

三修社

松浦 義弘

はじめてのブラジル・ポルトガル語会話

ナツメ社

加藤 博

ポルトガル語会話フレーズブック

明日香出版社

川崎 有三

ポルトガル語のしくみ

白水社

木谷 勤

ブラジル・ポルトガル語最重要単語2000+(プラス)語法ガイド

国際語学社

茂木 敏夫

旅の気分でポルトガル語

丸善

吉田 元夫

日本語から引く 知っておきたいポルトガル語

小学館

糟谷 憲一

CDエクスプレス ブラジル・ポルトガル語

白水社

柴 宣弘

NHKブラジル・ポルトガル語入門

日本放送出版協会

木村 靖二

ブラジル・ポルトガル語日常会話

日東書院

12 外国人卒業生の進路

平成14年度入学生   中日本自動車短大

スズキ自動車

平成15年度入学生   豊橋市 スクール・アシスタント

浜松職業能力開発短期大学校

平成16年度入学生   帰国

愛知大学(文学部・現代中国語学科)

スズキ自動車

平成17年度入学生   ホテル銀波荘

               愛知大学短期大学部(経営学科)

平成18年度入学生   名古屋外国語大学(現代国際学部・英米語学科)

               明海大学(外国語学部・中国語学科)

 

 

 

編集後記   

 私が定時制高校で、日本語の殆ど話せないブラジル人生徒を教えることになったのは15年前である。当時、ポルトガル語対応の日本語教材は非常に乏しかった。そこで、手探りで教材を作っていった。また、日本語のできない生徒にしてみれば、「先生」が自分たちの言葉で「元気?」などと言ってくれれば少しは安心できるだろうと、ポルトガル語の勉強を始めた。それと同時に、日本社会の中にいる外国人労働者の問題や、義務教育の現場での外国人教育の問題などについて学んでいった。そうして、外国人教育に関する問題が、様々な要因と複雑に絡み合っていることを考えながら、自分に何ができるのか問うていた。しかし、こちらがポルトガル語の上達を見る前に、生徒の方が退学してしまった。彼は、十分に言葉が通じない世界に一人でいることができなかったのである。自分の努力でそれを乗り越えるだけの強さが無かったと言える。そして、こちらも一人ポルトガル語の世界に残されてしまったようなものだが、乗りかかった船から降りる気にもなれず、船はそのままブラジルに向けて出航した。「船路なれど牛の歩みす。」さながらである。その体験がこのように役に立つ時代が来ようとは、想像もしなかった。外国人に関する教育行政は社会の現実になかなか追いつくことができないが、それでも確実に前進してきている。15年前を振り返ってみると、感慨深いものがある。

                                       平成21年3月 倉内弓子

多文化共生教育委員会

平成19年度     平成20年度

伊藤尋思      伊藤尋思

立花 昭      立花 昭

冨田健治      冨田健治

倉内弓子      倉内弓子

加藤久敏      加藤久敏

日比悠介      藤城義光

藤城義光      加藤孝司

杉浦恵美子     近藤 啓