未来は子供のもの

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野辺地天馬先生」のもの。

(日曜百話」
1957年、ヨルダン社)



1.聖書の価値。  「
大統領と聖書」


 大統領の家の聖書
 アメリカの最初の大統領ジョージ・ワシントンの住んだお家は、今もアメリカの名所の一つとして大切に残されています。そして、その中に、一冊の大きな聖書があります。

 彼が大統領になった時も、聖書の上に手をおいて「神よ、私を助けて下さい」と言って、それにキッスをいたしました。

 田舎の簡単な食堂で
 ある時のこと、彼は従者と一緒に、田舎の簡単な食堂に休んで、お昼の食事を頼みました。すると小さな少年が、食事の支度をしているお母さんに、聖書を買ってちょうだいと、うるさく言いました。お母さんは、「明日、大統領がこの町気来られるから、見に行きましょう、おとなしくしていないと、つれていってあげないよ」と言いました。すると少年は

 「大統領を見なくてもよいから、お母さん、聖書を買って!」と言うのです。
 それを聞いていた大統領は、少年の名前や年などをたずねましたが、食事が終わると、お金を払って出て行きました。

 とどけられた小包
 それから、二、三日たって、その食堂に郵便小包がはいたしされました。その少年にあてたものでした。何かと思って包みを開きますと、中から出たのは立派な聖書。少年は喜んで、「お母さん! ほら、聖書よ・・・」と大きな声でさけびました。お母さんは驚いて

 「どなたから」と言いました。少年は「そう、どなたかしら」と答えながらつつみ紙を見ましたが、送ってくれた人の名前が書いてありません。少年は聖書を開いてみますと、はじめのところに、文字が書いてありました。
 「お母さん、ここに名前が書いてあります。えっ、なんですって、ジョージ・ワシントンよりって・・・」という少年のことばにお母さんは驚いて、そこをのぞいて見ると、確かにワシントン大統領のサインがありました。

 大統領がおくった聖書
 「あらっ、大統領さま・・・。では、あの時のお客さまは、大統領のワシントンさまだったのか・・・」。「まあ、おまえはなんということを、大統領なんか見なくても、聖書がほしいなんて、本当に失礼なこと言って・・・」とお母さんはきまり悪そうに言いました。

 けれども、ワシントンは「大統領を見るよりも聖書がほしい」と言った少年の熱心なねがいを喜んだのでした。

 世界で一番よまれている本・聖書
 聖書は、世界でとても大切な、たくさんの人々が読んでいる本です。そこには天と地をつくられた神様のおことばが書かれています。それは私たちに本当の幸せをあたえてくれるものなのです。


 金言-詩篇百十九:百六十前半句

「みことばのすべてはまことです。」



2.謙遜。  「砕けた心」
 ルカ福音書十三:五



3.単純な信仰の大切さ。  
「貧乏な靴やさん」

 
貧乏な靴屋さん

 ドイツのハンブルグに、貧乏な靴屋さんがありました。朝から晩までぼろ靴の底をたたいて、家族のくらしを立てるだけで、何一つ楽しみのないような、まずしい日を送っておりました。
 多くの人々が、街へ出かけたり、遊びに行ったりするのに、その人はそれをすることもできず、昼も夜も、はたらきづめで年をかさねるばかりでした。

 靴屋さんの楽しみ
 楽しみといえば、みせさきの、たった一羽の小鳥をかって、そのなき声を聞くくらいのものでした。けれども靴屋さんは言いました。
 「ああ、この小鳥は幸せだ。食物にこまることもなく、こうして毎日歌っていられるんだ……。でも、私だって幸せなんだ。もしかしたら小鳥よりももっと幸せなのかも」と言って、貧しいくらしでしたが、靴屋さんは元気にはたらいていました。

 大学生と靴屋さん
 ある日のこと、そこを通りかかった大学生が、
 「おじいさん、あなたは楽しそうに、はたらいているが、どうしてですか」と話しかけました。そこで靴屋のおじいさんは、
 「へえ……、そう見えますか、本当に…考えれば考えるほど、私は幸せなんで」
 「どうしてですか、失礼ですが、見たところお金持ちでもなさそうですのに」
 「はい、私にはこの腕二つのほかには、何も財産というものがないのです。このやせ腕で
おおぜいの家族をやしなっているのです。けれども、私はうれしくてしょうがないのです」
 「それがふしぎなんです。しつれいですが、あなたのような貧しい人がそんなに喜んで
……」
 「 だって、学生さん。じつは、私は立派な王さまの息子……王子です」
 ひみつの本
 大学生はそれを聞くと、あきれて
 「ひやぁ……、考えられませんよ、あなたはきちがいだ。だから、貧乏を貧乏と思わないのだ……」といいすてて逃げだしました。
 それから、一週間ばかりたった日の午後、その学生が靴屋のまえを通ったので、
 「いよっ、王子さま、ごきげんようっ!」と呼びかけますと、…靴屋さんは、
 「これは学生さん、こないだは、話がとちゅうで切れました。あなたは私がきちがいだと思ったでしょうが、そうでないわけが、この本に書いてあるのです」といって聖書を見せながら、

 世界の造り主は、私たちの父
 
「私たちは、世界の造り主なる神さまに愛されている子供、すなわち王子です。神さまにたよる者は、朝から晩まで働きつづけても、楽しいのです」といいました。
 それから、その靴屋さんには、おおぜいの学生たちが、神さまのお話を聞きにやってきたということです。

金言ー第二テサロニケ三:十三


(4)地獄を見てきた音楽師


(5)顔を隠してきたお客 リンカーン大統領の祈り  


(6) 
夜の歩哨での賛美

 船の中の讃美歌
 大きな汽船が、何百人かのお客をのせて、大西洋を航行しておりました。ある日曜日のこと、人々はデッキに出て朝の礼拝をいたしました。その時の讃美歌の一つは、チャールス・ウエスレーの作った「わが魂を愛するイエスよ」というのでした。


 ある人の質問
 その礼拝が終わったとき、ひとりの人が、そのそばにいた人に言いました。

「今わたしの耳のそばでお歌いになってあなたの声を、私は確かにどこかでたしかに聞いたように思います。けれどのこれまで見たこともない人なので、ふしぎそうな顔をして、
「そうでしたか、どこだったでしょう」

 アメリカ南北戦争
 「そうですねえ、私も今思い出そうとしているのです。そうそう、あなたはもしや、南北戦争に出ませんでしたか」

「はい、でました」
「では、あるさびしい暗い晩に、たった一人で、歩哨に立ったことはありませんでしたか」
「ええ、ありました。あの晩にさびしかったことは、今でも忘れません。体がぞくぞくして、寒気がするようでした」
「そうでしたか、その時この歌をおうたえになりませんでしたか」
「そう、そう歌いました。あまりのさびしさ恐ろしさに、思わず知らず、この歌を歌いました。

 わが魂を愛するイエスよ
 “わがたましいを、愛するイエスよ、波はさかまき、風ふきあれて、沈むばかりのこの身を守り、天のみなとに 導きたまえ”

“われには外の かくれ家あらず 頼るかたなき このたましいを ゆだねまつれば 
みいつくしみの 翼のかげに 守らせたまえ“
と歌って、心のさびしさを抑えていましたが、“我をうるおし かわきをとどめ 
とこしえまでも 安きをたまえ“と歌いおわると急に私の心に大きな平安が与えられました。なんとも言えない平安が」と語りました。
それを聞いていた相手は、

 起きなかった銃声
 「ああ兄弟よ。わかりました。その時くらやみの中で、あなたを撃ち殺そうとしていたのは私でした。私はあなたの敵軍の兵士だったのです。鉄砲をあなたに向けて、まさに引き金を引こうとしたとき、あなたは心の底からわくような声で歌う出しました。私はねらいながら、一節二節と聞いていましたが、かわいそうになって、あなたが歌いおわったとき、

撃つのをやめて、そっと逃げました。天の神さまは、あなたをお守りくださったのです、何というふしぎなことでしょう」
と言って、二人は涙ながらに堅い握手を交わしました。

 
金言は歴代志下三二・七,八.


 

(13)何事も感謝

 キルビン、熱心に伝道
 今からおよそ四百二十年前、イギリスにギルビンという信仰の厚い牧師さんがおりました。その頃イギリスはメリー王女の時代でしたが、王女は熱心なカトリック教徒で、プロテスタント教徒をひどく迫害していました。けれども、ギルビンは熱心にイエスキリストを伝えましたので、女王は、ひどく怒って、


 ロンドンへ連行
 「あれを捕まえて、ロンドンに連れておいで」

と、役人に命令しました。
ところが、ギルビンは何事も感謝する人でしたから
「さようでございますか、どうぞ連れて行って下さい。これも私にとって善いことでしょう」
といって、平気で出かけました。
役人たちは
「これはなんという人なのだ、ロンドンに行けば殺されてしまうかも知れないのに」
と思いました。

 毎日遠い道を歩く
 ギルビンは、毎日毎日遠い道を歩かされながら、何事も感謝しました。そして幾日目かに転んで大けがをして、歩けなくなりました。すると役人は

「どうだ、こんなにケガをしても、お前さんは有りがたいのか、今度は降参だろう」
と申しました。ところが、ギルビンは苦しい中から答えました。
「どういたしまして、これも私にとっては善いことであるに、そういありませんから」
 お役人は、ギルビンをお医者に見せて、なおるまで、そこに泊らせて、絶対安静を続けさせました。
 ギルビンは、毎日神さまに頼って、苦しくとも、つまらないは申しませんでした。 
 メリー王女死亡

 ところが、その間にメリー王女は死なれて、エリザベツ女王が位につきました。時は西暦一千五百五十八年でした。
 新しい王女エリザベツはプロテスタントの教えに熱心でしたので、これまでメリー王女にいじめられている人々を全部ゆるしました。

 すべては恵み
 それを聞いたギルビンは申しました。

「私が、けがをせずに、そのままロンドンに行ったなら、とっくに首を切られていたことでしょう」と。
 間もなく、けがもなおって、又、熱心に伝道するようになりました。

 
金言―紙片106・1





(11)「私をやって下さい」インド宣教の父・ウイリアムの生涯。

  貧しい少年ウイリアム、しかし、楽しく
 英国にウイリアム・ケリーという少年がおりました。お家が貧乏だったにで、小さいうちから靴屋の小僧さんにやられ、朝から晩まで働きました。けれども幸いなことにウイリアムは、お家にいた時から聖書を教えられ、教会に行き、天の神さまのことを知っていましたから、靴屋の忙しい苦しい仕事をしながらも、毎日楽しく暮らすことができました。
 またウイリアムはまわりに人々から可愛がられ、私人にも信用されていました。でも、

 ウイリアムの喜び
 それだけで満足しませんでした。どうかしてイエス様のことを他の人にも知らせたいと思いました。そこで靴屋に来る人々に、
「おじさん、あなたは毎日聖書をお読みになりますか」
「おばさん、あなたはイエス様を愛しておいでですか」
と話しかけました。それがどんなに、人々の心の目を目覚めさせたかわかりません。

  外国伝道から帰って来た人
 さてある時のこと、外国伝道から帰ってきた宣教師から、インドや中国のことを聞き、
 真に神様を知らない人々が、色々の偶像を拝んだり、罪滅ぼしのために難行苦行をしていることを知り、可哀そうだと思いました。そこでどこからか世界地図を探し出してきて、仕事場にかかげ、いつもそれを見ながら
「神様どうぞ、可哀そうな真の神さまを知らないアジアの人々を助けて下さい。暗闇に迷う神様を知らない人々を、お救い下さい」
と祈りました。

 誰がインドに行くのか
 また、さいしょ、ウイリアムは、
「誰かがそのためにアジアへ行きますように」
と祈っていましたが、そのうち自分が行くのが、神様のみ心であることを知りました。
「そうだ、誰かをやって下さいではない、私が行かなければならない。主よ、私はここにおります、私をお遣わしください」
 そこで、靴屋をやめて、伝道者なるための勉強を始めました。聖書の研究や、信仰の道については無論のこと、未開地にはお医者も少ないのですから、病気の治療のことまで知らなければなりませんでした

  多くの人々がイエスの救いを
 そして彼はインドへ行きました、そのころのインドはペストやコレラのような恐ろしい疫病もはびこっておりました。彼の伝道は命がけでした。しかし、彼の献身的働きによって、多くの人が救われました。

  金言。マルコ十六・十五